糖尿病におけるスティグマ、クリニカルイナーシャとは?

糖尿病患者が直面する課題と、専門医の視点からの対策
いきなり難しい言葉が並んで驚かれたかもしれません。
しかし、これらはすべて、現在解決すべき課題として注目されているワードです。
そして糖尿病と向き合う上でとても大切な「背景の話」です。
糖尿病という病気そのものよりも、実は周囲の目や、治療を進めるうえでの“壁”が、知らないうちに私たちの健康に大きく影響しています。本記事では、「スティグマ(偏見)」「クリニカルイナーシャ(治療の遅れ)」というキーワードについて、専門的な立場からできるだけわかりやすく解説していきます。
スティグマ

スティグマとは?
糖尿病に対するスティグマとは、患者自身が病気を「自己管理の失敗」と感じたり、周囲からそのように見られたりする偏見のことです。

患者さんは「糖尿病を発症した」と言うと、周囲から「生活習慣が悪かったのでは?」と責められることがあります。
また、テレビで芸能人が糖尿病になったと報じられると、「不摂生だったからね」「自業自得だよ」といったコメントが寄せられることも少なくありません。
確かに「生活習慣が発症の一因であること」もありますが、このような考え方は不正確です。
なぜなら、糖尿病は遺伝的な体質や年齢、ストレス、妊娠など生活習慣だけでは説明できない多くの要因によって発症する病気だからです。
なぜスティグマを解決していかなくてはいけないの?
このスティグマは患者の精神的負担を増大させ、治療意欲の低下、孤立感、抑うつ症状の増加を引き起こす可能性があります1。実際にアジアの国々においても、一定の糖尿病患者が何らかのスティグマを経験し苦しんでいるとの報告もあります2, 3。
スティグマに苦しんでいる方には、まず「あなたのせいではありません」と伝えたいです。そして、信頼できる医療者とともに歩むことが、最良の解決策です。糖尿病に関する正しい知識を身につけ、堂々と治療に取り組んでほしいと思います。
医療者側もスティグマを助長する言動を慎み、患者さんの尊厳を守る姿勢が求められます。
アドボカシー活動とは?
スティグマの蔓延した現状を変えていこうとする取り組みが「アドボカシー活動」です。アドボカシー(Advocacy)とは、直訳すると「擁護」「支援」といった意味です。

患者や当事者が、自分たちの権利やニーズを社会や政策に向けて発信していく活動を指します。
たとえば
- 「患者が適切な医療にアクセスできるように保険制度の改善を求める」
- 「職場や学校での配慮を促す啓発活動を行う」
- 「糖尿病に関する偏見をなくすための広報を行う」
などが代表的です。
日本でも、日本糖尿病協会などが中心となり、国や自治体への働きかけや、教育・啓発活動を行っています。
これらのアドボカシー活動には、患者さん自身の声が欠かせません。もちろん、声を上げるといっても何か大きなことをする必要はありません。たとえば、下記の行動も立派なアドボカシー活動です。
- 自分の体験をブログやSNSで発信する
- 地域の患者会に参加する
- 世界糖尿病デーのイベントに顔を出す
私たち医療者もまた、患者さんの声を受け止め、社会に届ける「代弁者」としての責任があります。診察室の中で終わらせず、診察室の外でも一緒によりよい未来を目指す。それが、アドボカシーの本質だと考えています。
クリニカルイナーシャ

クリニカルイナーシャとは?
糖尿病と診断されると、血糖値を下げるために生活習慣の改善や薬物療法が始まります。しかし、状況によって、血糖コントロールが不十分なまま放置されることがあります。
これを「クリニカルイナーシャ(clinical inertia)」と呼びます。
クリニカルイナーシャとは、医師や医療チームが明らかに治療を強化すべき状況でも、治療内容を見直さない、あるいは見直しが遅れることを指します。たとえば、HbA1cが目標値(通常は7%未満)を超えていても、薬の種類や量を変えずに経過観察を続けてしまうようなケースが典型です。
なぜ起きるのか?
理由はさまざまですが、下記のような要因があります
- 患者さん側の事情(低血糖への不安・服薬への抵抗感)
- 医師側の判断(高齢だから治療強化は控えたいなど)
- 時間や診療体制の制約
クリニカルイナーシャを避けるためには、患者さん自身も「現状の治療でいいのか?」という視点を持つことが大切です。「以前より血糖値が高くなっているけれど、薬は変わらない」「最近低血糖も少ないけど、同じ薬のまま」。そんなときは、遠慮せずに主治医に相談しましょう。
私たち医師も、患者さんの生活や価値観を尊重しながら、できるだけ早期に適切な治療を提供できるよう努めています。糖尿病治療は「待つ」ものではなく、「タイミングを逃さない」ことが重要です。

医師との付き合いがながくなると「なあなあ」になることがあります。定期的に治療の見直しが必要ないか、患者さん側からも確認していく必要があります。
専門医の視点からのアドバイス
糖尿病患者は、病気に対する誤解や偏見に遭遇することが避けられません。そのため、患者自身が病気を正しく理解し、必要以上に自責感を持たないことが大切です。
医療者としては、患者への偏見を無意識に持たないよう意識的なトレーニングを行い、治療方針を柔軟かつ迅速に調整することが求められます。また、患者自身が積極的に糖尿病の正しい知識を発信し、患者団体等の活動に参加することも推奨します。

「糖尿病を発症したときの気持ち」は、やはり経験した本人にしかわからないものだと思います。
だからこそ、あなたが学び、うまく付き合っていく経験を積んだら、ぜひ、同じように悩んでいる人たちの“先生”になってあげてください。
糖尿病患者にとって、一番心に響くのは同じ立場を経験した“先輩”の声なのです。
結語
糖尿病治療は単なる血糖コントロールにとどまらず、社会的偏見や治療方針の停滞に対する積極的な対応が求められています。スティグマを理解し、クリニカルイナーシャを防ぎ、アドボカシー活動に参加することで、糖尿病患者の生活の質は大きく向上します。
併せてこちらもご覧ください
参考文献
- Schabert J, et al. Social stigma in diabetes : a framework to understand a growing problem for an increasing epidemic. Patient. 2013;6:1-10.
- Kato A, et al. A closer inspection of diabetes-related stigma: why more research is needed. Diabetol Int. 2019;11:73-75.
- Subramaniam M, et al. Prevalence and Correlates of Social Stigma Toward Diabetes: Results From a Nationwide- Survey in Singapore. Front Psychol. 2021;12:692573.

この記事を書いた人
都内の総合病院で糖尿病や内分泌疾患を専門に診療している医師です。総合内科専門医/糖尿病専門医/内分泌代謝科専門医/医学博士。年間2000人以上の糖尿病患者さんを診察しながら、学会発表や研究活動も行っています。このブログでは、日々の診療で感じた「患者さんが本当に知りたいこと」「わかりづらい医療情報をわかりやすく伝えること」を大切にしています。正しい知識を知ることが、安心への第一歩になりますように。
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